漢字が苦手というお話
2018年8月7日 漢字がむかしから苦手である。
読む分にはなぜか不便はなかったけれど、書くとなるとまるで駄目である。「願」という字など一度でも正確に覚えていたということが無い。どうしてもまず「顔」と書き始める。書いてみるまでは、これではカオではないかと気づかない。しかしパーツは似ているはずだから、と左右をひっくり返してみて、「頁彦」と書いてみて首を傾げ、結局思い出せないものだから、「ガン望」と書いておしまいにしてしまう。こういうことをもういつまでもくりかえしている。
小学校時代、漢字テストというのがあった。たしか高学年の毎学期末に行われていた。漢字の書き問題が100問あって、八割以上正解しなければ再試、それでだめなら再再試というやつである。これがひどかった。本試では半分も書けない。しっかり復習したつもりで追試に臨んでも、同じ問題であるはずなのに、一度目と似たような結果になる。書き取りを毎日する。のに一向によくならない。ある一定の数漢字を覚えると、それ以降はもう頭に入らないようである。一度目の追試には数人か十数人、仲間もいたものだが、追試を繰り返すごとに数は減っていき、しまいには薄暗い教室に私一人だけ。教師もこれ以上面倒は見切れぬといったようすで、馬鹿らしくなったのかいつまでも教室で監督をしていない。私が解き終えるまで一度か二度、見に来るくらいになる。そうなってようやく、カンニングをして合格をもらうというありさまだった。これを毎学期である。
こんなことをしているわりには、むしろしていたからだろうか、小学生のころより漢字が書けるようになっているとはほとんどならず、いまやもはや漢字とは一生仲良くはなれぬと決め込んでしまっている。
追記...
大変読みづらかったので、少し手直しをしました。
読む分にはなぜか不便はなかったけれど、書くとなるとまるで駄目である。「願」という字など一度でも正確に覚えていたということが無い。どうしてもまず「顔」と書き始める。書いてみるまでは、これではカオではないかと気づかない。しかしパーツは似ているはずだから、と左右をひっくり返してみて、「頁彦」と書いてみて首を傾げ、結局思い出せないものだから、「ガン望」と書いておしまいにしてしまう。こういうことをもういつまでもくりかえしている。
小学校時代、漢字テストというのがあった。たしか高学年の毎学期末に行われていた。漢字の書き問題が100問あって、八割以上正解しなければ再試、それでだめなら再再試というやつである。これがひどかった。本試では半分も書けない。しっかり復習したつもりで追試に臨んでも、同じ問題であるはずなのに、一度目と似たような結果になる。書き取りを毎日する。のに一向によくならない。ある一定の数漢字を覚えると、それ以降はもう頭に入らないようである。一度目の追試には数人か十数人、仲間もいたものだが、追試を繰り返すごとに数は減っていき、しまいには薄暗い教室に私一人だけ。教師もこれ以上面倒は見切れぬといったようすで、馬鹿らしくなったのかいつまでも教室で監督をしていない。私が解き終えるまで一度か二度、見に来るくらいになる。そうなってようやく、カンニングをして合格をもらうというありさまだった。これを毎学期である。
こんなことをしているわりには、むしろしていたからだろうか、小学生のころより漢字が書けるようになっているとはほとんどならず、いまやもはや漢字とは一生仲良くはなれぬと決め込んでしまっている。
追記...
大変読みづらかったので、少し手直しをしました。
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